家庭教師

バイト後に親御さんから言われたことによると、、
最近教えている子が算数が多少分かるようになり、苦手意識を少なからず取り除けたみたいだ。
正直、この小学生を教えていて、私が家庭教師をやっていて効果はあるのだろうか、
とも思っていたのだけれど、こう言ってもらえたので多少気が楽になった。
元気ありすぎて、毎回相手をするのがかなり疲れる、っていうマイナス点を穴埋めするくらいだよ。
頑張っちゃおうかな、って思ったので、
ちょうど今日は錐体について一緒に考えたので、
今度行くときは色々な錐体を作って持っていこうかしら、とも思ってしまう。
錐体の体積の求め方、「底面積×高さ÷3」のずるい説明は模型があるとしやすいし。
しかしながら錐体と言えば思い出すのが私の小学時代の担任。
直方体と錐体の水槽を使った説明、錐体のコップ3杯分で直方体が一杯になるってビジュアル的に説明した後、
でもね、これって誤魔化しなんです、って付け足してくれたりしたのも覚えてます。
その先生が、
「今の君達はね、結果だけを知っていることが多いと思う。
なんでそうなるのかがちゃんと分からないことが沢山あるんだと思う。
結果を知っているだけでも結構満足できるよね。
でもね、なんでそうなるんだろう?って考えて、それが分かったときに一番満足出来ると思うよ。」
もうね、小1時代の作文にひたすら、
「〜が・・・なのはなぜだろう?」
とひたすら書き続けた私にとってはもう神、ですよ。



その後高3生のところへ。
もう入試近いから、とりあえず入試問題を解きつつ解説しつつ、という、
かなりのスキルのいる作業を軽くこなしてやった。
その場で問題みて、その場でベストに近い解答、および、どう着眼するか説明できるって凄くね?
っと調子にのったことをその子に言うと、
じゃあ勝負しましょう、と言われて毎回数学の早解き勝負になる。
よく家庭教師先にいって言われるのが、数学科だから計算が早いのだろう、とか、
私にとっては簡単だろう、とか、言われるが、
早く計算できるわけではなく、早く計算できる手順を巧く考えられる、ということなんだと思う。
よく分かりづらいけれど、言い換えれば、
勉強の出来る人は何でも良く知っている、のではなくて、
何でも良く出来る人が勉強が出来る人とみられてる、
って感じかしら?
いや違うか、そうすると、早く計算できる人が数学科の人、になってしまう。
うまい例えが思いつかないや〜。
それと、簡単だろう、ってものはその実、先の円錐みたいにむしろ説明するのは難しい。
例えば、錐や柱みたいな側面が窪んだり、折れたりしないものには、
「頂点の数+面の数−辺の数=一定」が成り立ってたりするけど説明できないし。
窪んでいるならいるで、窪みの個数が同じならば上の式は成り立つし。