行為をする

先日、酒の席で酔った人から、
「おまえはいったいなにがやりたいのか」
と言われた。
まぁ本音がでたのであろうよ、わたしゃ色々と適当すぎるから。


(ところで、数学では「適当」と言う語を、
「最適な」という意味で使うので、
適当とは使いたくないが、言い換えの「いい加減」は受ける感じが悪いので、
適当を使ってしまうの。)


さて、上の解釈としては、
酒の席でたいして盛り上がらない私の態度を観て、じゃあなぜ酒の席にくるのか、
と言う意味なのか、
それとも、団体の中で私が何をしたいのか、
と言う意味なのか、
というところから考え出し、
結局それ以来、両方の意味で私は何がしたいのか、というところを考えてた。
まぁ、両方とも普段からぼーっと考えていることなのだが。


最近良く考えていること。
何かしらの行為をするということは、
行為をすることで得られる結果がその個人にとって有用であるため、
その結果を得たいがためにするのだと思う。
例えば、みんながRPGドラクエやFFをするのは、
ハズレなく楽しめる確率が高いためRPGを楽しむことにおいて有用であろうから、
という、
言ってしまえば糞ゲーRPGはやる気しねー、というところだろうよ。
皆がベストセラーを読むのだって、
(ただし、皆がベストセラーを読む、という文は論理的か、と言われると、
「ベストセラー」の定義が「皆が読む本」、
のような気がして正しくないような気もするが、
その辺は今回は置いておくYO!)
いや言い換えて皆が本を読むのだって、
感動でも恐怖でも驚きでもなんでも良いが、
心を揺さぶられたい、と思うからで、
そのための手段として本を読んだり、
または映画を観たりするのだろうよ。

しかしながら、故意に意図的に行為をすることを行為する…(*)、
つまり、故意に意図して行為をすること自体を目的にするのは、
本人にとっては行為をすることを行為するのは楽しいのだが、
他者から観ると、奇妙に移るのだろうよ。


(最近の食事事情は惣菜、コンビニ、飯店の盛隆で、
食事は楽しむものではなく、
必要な栄養を採る為の行為になっているのかもしれないが、
これは意図的に、というか慣習的に、といったほうが良い気がするので、
こういうものは弾いておく。)


(*)の例として、活字中毒と呼ばれるものや、
おたくやらマニア全般、酒飲み、喫煙者、などなど、
これらは行為すること自体が目的となっている。
私自身も、漫画を読むと言う行為自体がすでに目的となっている節があるし、
こういう(*)状態にある人は別に珍しいわけではないのだが、
ただ、
結果を得るために行為する者のとっては、
行為することを行為する者がどう映るか、
ということだ。
一般的に、
(結果を得るために行為をする者)>(行為することを行為する者)
という強さの図式が成り立っていると思う。
「>」であって「≧」ではなく。
(ただ、「>」と「≧」は無限にもっていったらどーよ、ということはおいておいて)


まぁそういう上記の考え方が私の答えだ。