最近気になること

■1
数独ってありますよね。
縦横四角に1から9までの数字をかぶらないように入れていくやつ。
その数独には必勝法というか、
必ず解ける解法ってあるのかな、って思うのです。
というか、巡回群か、対称群っていうのを使うことで、
一般的解法が作れそうな予感がしているのですが。
というのも、
各ユニット、縦一列横一行などをユニットとして考えれば、
そのなかでは対称群なわけだし、
対称群の集合として考えれば、
群の集合からなにかへの線型写像全体なんかを考えて、
そいつの集合をとってやれば、みたいなことを考えれば解けそうだけれど、
なにぶん群論苦手だから考える気になれない、だけど気になる。
■2
「数学は国語力が必要だ」
と言われていたのを聞いたのですが、それについて考えてた。
たとえば因数分解、分配法則を例にして。
因数分解って、

ax+ay=a(x+y)

みたいなものだけれど、家庭教師やってて感じるのは、
意外と因数分解や分配法則っててこずるよう。

これを日本語で考えてみると、

あなたのお父さんとお母さんをみました。

という文章は、

あなたの(おとうさんとおかあさん)をみました。
→あなたのおとうさんと、あなたのおかあさんをみました。

ということになり、
日常生活では因数分解や分配法則ってのは普通に用いているもので、
そういうことが分っている子は、自然に数学も分り、
その結果として数学は国語力が必要ってことを意味するのか。
しかしながら本来ならば、数学力をつけることで、
その結果として国語力、
ここで言う国語力とは語彙などではなく、
修辞、修飾関係のことをさす、
そういった国語力を養成するのが本筋ではないか、と思うのだが。
つまりは、国語力がある子、という例は元々そのような力を持った子であり、
ただその力を表現する手段がこれまでは国語、
という枠組みしかなかっただけなのでは、ということだ。
初等的な算数は論理的思考というものをあまり必要としないし、
そのため修飾関係というある種の規則めいたものでしか、
その力を表現できていないだけなので、
それすなわちいわゆる論理力なのではないか、と思うのだが。
つまりは論理力を鍛えるはずの数学で国語力を伸ばすのが本筋で、
それじゃあ本末転倒なのではなんて思った。